桜空手道場 ― 名前に込めた想い

「なぜ、桜空手道場という名前なのですか?」

この質問をいただくことがあります。

実は、この名前には、道場代表・石川秀樹の人生、長年ともに歩んできた小山高弘とのご縁、恩師との出会い、空手道、そして日本とアメリカをつなぐ深い想いが込められています。

私たちの原点は足立区

私たち石川秀樹と小山高弘は、ともに東京都足立区で育ちました。

幼い頃から足立区にある「剛柔流拳昌会国際空手道連盟」で空手道を学び、恩師である地引昌次郎先生、そして地引一弘先生のもとで、空手家として、人として大きく成長してきました。

私たちの空手人生の原点は、この足立区にあります。

足立区から世界へ渡った「桜」

実は足立区には、世界へ誇る歴史があります。

1912年、足立区・荒川堤に咲いていた「五色桜」の接ぎ穂から育てられた桜が、日米友好の象徴としてアメリカ・ワシントンD.C.へ贈られました。

その桜は100年以上にわたり、世界中の人々に愛され、今もなお日本とアメリカの友情を象徴する存在として咲き続けています。

しかし戦後、日本に残されていた五色桜は衰退してしまいました。

そこで1952年、そして1981年には、ワシントンD.C.で大切に育てられてきた桜の子孫が足立区へ贈られ、「里帰り」を果たしました。

日本から世界へ渡り、再び故郷へ帰ってきた桜。

この物語は、私たちにとって特別な意味を持っています。

私たちの人生にも、いつも「桜」がありました

石川は大学進学を機にアメリカ・カリフォルニア州へ留学しました。

恩師ジョン・リムカコ先生のもとで競技空手を学び、選手としてだけでなく、一人の人間としても大きく成長することができました。

その留学先は、サクラメント(Sacramento)。

人生を大きく変えた場所の名前にも、「サクラ」の響きがあります。

帰国後は在日米国大使館に勤務し、現在も米国大使館空手クラブの指導を続けています。

ワシントンD.C.を訪れるたび、1912年に日本から贈られた桜が美しく咲く姿を何度も目にしてきました。

一方、小山も16歳で日本代表として国際大会に出場した経験をきっかけに、「世界で活躍するためには空手だけではなく、英語も必要だ」と強く感じました。

その経験から語学を学び、海外での出稽古や米国大使館空手クラブの立ち上げにも携わり、国際的な環境の中で指導を続けてきました。

振り返ると、私たちの人生の節目には、いつも日本とアメリカ、そして「桜」がありました。

桜に込めた願い

桜は、日本を代表する花です。

日本から世界へ渡り、多くの人に愛され、再び故郷へ帰ってきた桜。その歩みは、世界へ羽ばたき、多くを学び、その経験を次の世代へつないでいく私たちの願いとも重なります。

桜空手道場が目指すのは、強い空手家を育てることだけではありません。

礼節を重んじ、日本人としての誇りを持ち、異なる文化や価値観を尊重しながら、世界で信頼され活躍できる人を育てることです。

子どもたち一人ひとりが、自分らしい花を咲かせ、それぞれの人生で大きく羽ばたいてほしい。その願いを込めて、「桜空手道場」と名付けました。

世界へ羽ばたく力は、礼から始まる。